
長年にわたり多くのファンを魅了してきた高橋真梨子さん。
その深く美しい歌声は、今もなお心に響き続けています。
近年では「引退」の噂や「病気療養」のニュースも話題に。
果たして、その真相はどうなのか。本人の言葉や活動をもとに、
現在の様子とこれからの展望について詳しく追いかけました。
音楽界のレジェンドが見せる、新たな一歩に注目が集まります。
高橋真梨子の現在の活動

高橋真梨子さんは、2024年も変わらず精力的に活動を続けています。私も高橋真梨子さんの音楽に触れるたび、その魅力を再確認しています。特に注目すべきは、2024年10月から始まるアンコール・ラストツアー「EPILOGUE」。これは、2022年に行われた「最後の全国コンサートツアー」の反響を受けて実現したもので、ファンにとっては待望のツアーです。
また、ツアーに合わせてリリースされた2枚組CD「EPILOGUE tour 2024-2025」。こちらは、ツアーのセットリストを収めたもので、2024年10月9日に発売される予定です。このアルバムも、ライブ映像と同じく、高橋真梨子さんの歌声をより深く味わえる貴重な一枚になることでしょう。
さらに、2023年にはレコードデビュー50周年を迎え、その記念として特別な作品がリリースされ、さまざまなイベントも開催されました。ファンにとっては、感慨深い時期だったことは間違いありません。
YouTubeチャンネルも開設されており、2022年からはオフィシャルチャンネルでライブ映像が公開されています。例えば、「五番街のマリーへ」や「遥かな人へ」、「ごめんね…」など、高橋真梨子さんの歌声を自宅でも楽しめるようになっています。このチャンネルは、過去のコンサート映像や特別番組なども配信され、ファンとの繋がりがより一層深まっています。
体調不良と病気について

高橋真梨子さんが激やせしていた姿を見せたのは、2016年の紅白歌合戦のステージでした。私も当時テレビで見ていて、あまりに細くなった姿に驚いたのを覚えています。
その翌年、2017年にTBS系列で放送された「中居正広の金曜日のスマイルたちへスペシャル」では、そのときの裏側が特集されていました。番組では、高橋さんの体調や舞台裏の様子が丁寧に取り上げられていて、スポーツ紙などでも大きく報道されていたんです。
実際のところ、高橋さんの体重は一時33キロを下回っていたと伝えられました。これは成人女性の平均体重よりかなり少ない数値で、健康状態が心配されるレベルです。
この激やせの背景には、更年期障害と過去のトラウマがあったとされています。ご本人も番組内で、その影響が大きかったと語っていました。心と体のバランスが崩れてしまうことって、本当に怖いですよね。
また、夫でプロデューサーのヘンリー広瀬さんによると、高橋さんの体重は通常でも41キロほどだったそうです。そこから6〜7キロも減ってしまえば、当然体力も落ちてしまいますよね。現場のスタッフの話では、当時は33キロを切っていたとのことです。
高橋さん自身も、「筋肉がほとんどないので、まるで氷水の上に足をつけているような感覚」と話していて、その状態でステージに立っていたことに、ただただ頭が下がる思いでした。
番組では、高橋真梨子さんに約3か月間密着しており、12月のディナーショーや紅白歌合戦の舞台裏も紹介されていました。カメラには、ステージを降りた後に誰かに支えられながら歩く様子が映っており、見ているこちらが胸を締め付けられるようでした。
さらに、高橋さんはスタジオ収録で「体調が良い日は年に2回くらいしかないんです。いつもどこかしら調子が悪いんです」とも打ち明けていました。この言葉に、長年歌い続けてきた高橋真梨子さんの葛藤や覚悟を感じずにはいられませんでした。
体調が悪化するきっかけは、更年期だったと話していて、そこから幼少期のトラウマまで一気に押し寄せてきたそうです。その過去が今の心身にも大きな影響を与えているのかもしれません。
プロフィールと経歴について

高橋真梨子(たかはし まりこ)プロフィール・経歴まとめ
- 本名:高橋 芽里(たかはし まり)
- 旧芸名:高橋まり
- 生年月日:1949年3月6日
- 出身地:広島県広島市(福岡県生まれ)
- 血液型:A型
- 身長:157cm
- ジャンル:J-POP、ニューミュージック
- 所属レーベル:ビクターエンタテインメント(ペペルージュ)
- 配偶者:ヘンリー広瀬(音楽プロデューサー)
音楽キャリア
- 1972年:「ペドロ&カプリシャス」の2代目ボーカルとして加入
- 1973年:「ジョニィへの伝言」で大ヒット
- 1978年:ペドロ&カプリシャスを脱退、ソロ活動を開始
- 代表曲:
- 「桃色吐息」
- 「ごめんね…」
- 「はがゆい唇」
- 「遥かな人へ」
- 「for you…」
- 1984年:「桃色吐息」で日本レコード大賞・金賞受賞
- NHK紅白歌合戦:1983年から2003年まで16回出場
- ライブ活動:1980年代から毎年全国ツアーを実施し続けた
- 2022年:コンサートツアーをもって全国ツアー活動を終了と発表
高橋真梨子さんの音楽との出会いは、私たちファンにとってもとても印象深いものです。高橋真梨子さんは広島県廿日市市に生まれ、その後は福岡県で育ちました。本名は森岡まり子さんです。自然の中でのびのびと過ごした幼少期だったようで、そうした環境が感性にも影響したのではないかと思います。
高橋真梨子さんの音楽の原点は、父親の存在にあります。お父さまはバンド活動をしていて、家の中でも音楽が流れていたそうです。小さな頃からそんな環境にいたことで、自然と音楽が身近な存在になっていったのでしょうね。
また、ご本人も語っていたように、家庭環境に悩むこともあったそうです。でも、音楽はそんな高橋真梨子さんにとって心のよりどころだったのだと思います。ピアノや歌に夢中になった学生時代が、その後の才能につながっていったのだと感じます。
ペドロ&カプリシャス時代の躍進
そして1972年、高橋さんはペドロ&カプリシャスの2代目ボーカルとして加入します。この時から、高橋真梨子さんの音楽人生が大きく動き出しました。当時の音楽界では新しいジャンルやスタイルが次々登場していましたが、高橋真梨子さんの声はとても澄んでいて力強く、一瞬で人の心をつかみました。
特にジョニーへの伝言や五番街のマリーへは、今聴いても色あせない名曲です。歌に込められた感情が深くて、心に響きますよね。このグループでの経験が、高橋真梨子さんにとってソロとしてやっていく自信や方向性を与えてくれたのではないかと思います。
ソロ活動で広がった表現の世界
1978年には、ペドロ&カプリシャスを離れてソロ活動を始めました。グループとして成功していたのに、さらに自分の音楽を追求する姿勢にとても感動します。あなたの空を翔びたい、ごめんね…といった楽曲で、高橋真梨子さんの世界観は一気に広がりました。

高橋さんは、曲作りや歌詞の表現にも積極的に関わっていたそうです。その姿勢に、私は本当に尊敬の気持ちを抱きました。聴き手の心に届く歌を作るために、妥協をしない姿が今も多くの人に愛されている理由なんだと思います。
永遠の名曲『for you…』が生まれた背景
中でも1982年に発表されたfor you…は、高橋真梨子さんの代表作として語り継がれています。切ないメロディにのせた、感情あふれる歌声が心にしみます。この曲が発売された当時の空気感や、リスナーに寄り添うような歌い方が、時代を越えて人の心をつかんで離しません。
デビュー当時の苦悩と、心に響く強さ
デビュー当時のエピソードにも、高橋真梨子さんの人柄や苦労がにじみ出ています。見た目の美しさや歌声が注目される一方で、グループでの方向性や選曲について悩むこともあったようです。ソロになってからは、責任感の重さや歌詞の意味をどう届けるか、常に真剣に向き合っていたと聞きました。
さらに、更年期障害など体調の不調とも向き合いながら活動を続けていたという話もあります。そんな中でも一つひとつのステージに立ち続ける姿に、私は何度も勇気をもらいました。
こうして見ていくと、高橋真梨子さんの音楽人生は、決して順風満帆なものではありません。でも、だからこそ一曲一曲に込められた思いが深くて、多くの人の心に残り続けているのだと私は思います。
世代を超えるヒット曲とその背景

桃色吐息に込められた想い
1984年にリリースされた桃色吐息は、高橋真梨子さんを代表する名曲です。私自身、この曲を初めて聴いたとき、切なさと美しさに心を奪われました。作詞・作曲には当時の人気クリエイターが参加しており、歌詞とメロディが見事に調和しています。
特に高橋さんの深みのある歌声が、バラードの持つ感情を引き立てていました。当時は歌謡曲が主流だった時代ですが、この曲にはジャンルにとらわれない自由さがありました。歌謡曲という枠を越えて、アートとしての音楽を追求した挑戦的な作品とも感じます。
この一曲によって、高橋さんの存在感が一気に広がったのは間違いありません。今聴いても色あせない、そんな力を持った名曲です。
ヒットを連発した80〜90年代
1980年代から1990年代にかけては、高橋真梨子さんが音楽界で確固たる地位を築いた時期です。ごめんね…やはがゆい唇といった曲が次々とヒットし、どれもが高橋真梨子さんの歌声の魅力を存分に引き出していました。
当時の歌番組や紅白歌合戦でのパフォーマンスも、とても印象に残っています。映像で観るたびに、高橋真梨子さんの音楽に対するまっすぐな姿勢を感じました。歌詞の世界を丁寧に伝えようとするその姿に、胸を打たれたのを覚えています。
曲ごとにテーマや雰囲気が変わるので、年代や世代を超えて多くの人に届いたのだと思います。私も親世代と一緒に聴いた記憶があります。
アルバム制作へのこだわり
高橋さんのアルバムには、どの作品にも一貫したこだわりが感じられます。私が特に印象に残っているのは、1980年代後半から90年代前半のアルバムです。ジャンルを問わず、ジャズやポップス、歌謡曲を自由に取り入れています。
その音楽の幅広さが、高橋さんの表現力をさらに引き出していたように思います。完成度の高さに驚かされるアルバムばかりで、細部まで丁寧に作られていることがよく分かります。
どの一曲をとっても手を抜いていない姿勢が、プロとしての信念を感じさせます。こうした積み重ねが、日本の音楽史にしっかりと残る理由なのでしょう。
恋愛を歌った名ラブソングたち
高橋真梨子さんの曲には、恋愛をテーマにしたラブソングが数多くあります。中でも桃色吐息やfor you…は、多くの人の心に残る代表作です。私自身も、大切な思い出とともに何度も聴いてきました。
歌詞には、高橋さん自身の人生経験がにじんでいるように感じます。それが聴き手に深い共感を呼び起こしているのでしょう。特に、恋の切なさや別れの痛みを静かに語るような表現が、とてもリアルで心に響きます。
その透明感のある歌声と繊細な感情表現が、時代を越えて多くの人に愛され続けている理由だと思います。
社会に広がった楽曲の力
ヒット曲が与える影響は、音楽だけにとどまりません。桃色吐息やfor you…は、CMやドラマの主題歌としても広く知られています。街中やテレビで自然と耳にする機会が多く、気づけば口ずさんでいるような存在です。
私の周りでも、この曲に救われたと話す人がたくさんいます。たとえば、つらい出来事があったときに聴いて元気をもらったという声は、本当に多いです。そんなふうに、人生の節目や悩みに寄り添う音楽って、なかなかないと思います。
高橋真梨子さんの曲は、聴くだけで気持ちが落ち着いたり前向きになれたりします。だからこそ、世代を超えて今もなお愛され続けているのでしょう。